サーターアンダギーと廃油の記憶

——戦後沖縄を生き抜いた人たちに聞いてみた


「戦後の沖縄では、サーターアンダギーをジェットエンジンの廃油で揚げて食べていた」

そんな話を、どこかで耳にしたことがある。

都市伝説なのか、本当のことなのか。実際に生きていた人に聞いてみようと思った。


聞いてみた

私🤓「サーターアンダギーをジェットエンジンの廃油で揚げて食べていたって聞いたことがあるんですが、本当ですか?」

90歳のおじいさん👴「ジェットエンジンではないけど、まずいのがあったよ。」

80歳のおじさん👨「30番!」

私🤓「……30番?」


「30番」とは何か

この一言が気になって、調べてみた。

「30番」とは、SAE 30——エンジンオイルの粘度規格のことだ。ジェット燃料ではなく、機械のエンジンに使う潤滑油。

1945年から1972年まで、沖縄はアメリカの統治下にあった。島のあちこちに米軍基地があり、大量の物資が持ち込まれた。食料は乏しく、食用油はとても貴重だった。

そんな時代に、人々はどうしていたか。

基地から流れ出た、あるいは非公式に取引された機械油。少量であれば人体にすぐに害があるものではないとされるグレードのオイルを、食用油の代わりに使っていた人がいたらしい。

その結果できあがったのが、「まずい」サーターアンダギーだった。

食べられないわけじゃない。でも、まずい。


甘いお菓子の、苦い背景

サーターアンダギー(サーター=砂糖、アンダ=油、アギー=揚げる)は、沖縄を代表するお菓子だ。丸くてずっしり、外はカリッと中はしっとり。市場でも、祭りでも、どこでも見かける。

今は、卵・小麦粉・砂糖をきれいな植物油で揚げる。食べると、どこかほっとする味がする。

でも、そのお菓子の後ろには、もっと長い物語がある。

1945年、沖縄は太平洋戦争最大規模の地上戦の舞台となった。民間人の四人に一人が命を落とした。生き残った人々は、瓦礫の中から、食べるものも、住む場所も、ほぼ何もない状態で立ち上がった。

その時代に、人々は知恵を絞った。機械油でお菓子を揚げた。子どもに食べさせた。そして、生き延びた。


なぜ、この話が大切なのか

90歳のおじいさんと、80歳のおじさんに話を聞いたとき、ふたりは即座に答えた。記憶は鮮明で、「30番」という具体的な数字まで出てきた。

体で覚えていることは、忘れない。

でも、この記憶を持つ人たちは、あと何年かすればいなくなる。残るのは、私たちが記録したものだけだ。

私が活動する「琉球のタネ」では、こういう個人の体験を経験知コモンズと呼んでいる。一人の人間が生きて得た知恵が、記録され、共有されることで、地域全体の財産になるという考え方だ。

廃油で揚げたサーターアンダギー。「30番」という言葉を即座に思い出す80歳。

これが、私たちが記録しようとしているものだ。


現代のサーターアンダギーの作り方

この話を知ったうえで、ぜひ一度作ってみてほしい。

材料(約15個分)

作り方

  1. 卵と砂糖を混ぜ合わせる。
  2. 薄力粉・ベーキングパウダー・塩を加えて、まとまるまで混ぜる。
  3. ゴルフボール大に丸める。
  4. 160℃の油で6〜8分、転がしながらきつね色になるまで揚げる。
  5. 揚げている途中で表面がぱっくり割れてきたら、できあがりのサイン。

温かいうちに食べながら、この島で生きた人々のことを、少し考えてみてほしい。


この記事は、world.ryukyu-tane.com の連載「沖縄ルネサンス・ノート」の第1回です。


✏️ 著者メモ